ご無沙してしまいました!2016年、とっくに明けました。

HPの管理ちょっとさぼっていたので、こちらを覗いて下さってる方もなかなかいないかしら。

と思いつつ。。。汗

なんとなく更新してみます。

昨年末、風邪をこじらせていた母にネックウォーマーを編んであげようと思い立ち、

16、7年ぶりくらい(こういうとなんか自分がえらい年寄りに思える!)に編み針を持った。

以前編めていた感覚があるので、すぐにできるかと思っていたが大間違い。

編み針の持ち方、目の作り方、何もかも忘れていて、完全に初心者になっていた。

you tubeで基本をひとつひとつ確認しながら、編んではほどいての繰り返し。

ネックウォーマーの完成には思いのほか時間がかかったが、久々の編み物の感覚はやはり楽しかった。

今は100均でも編み針や毛糸が購入できるし、編み方に困ったらyou tubeで検索すれば大概How toが載っているので気軽に始めやすい。

余った毛糸で小さなポーチを作ったり、着なくなったセーターをほどいて、クラッチバックを作ったり。

次回は帽子を制作したいと目論んでいる。

自分で作って自分で使うぶんには、多少の目の凹凸やずれも手編みの味としてオッケーなのだが、人からもらったりするのはおそらく別の感覚だ。

小さい頃、母の編んだ手編みのセーターを着るのは恥ずかしくて嫌だったことなんかを、編みながら思い出していた。

ラベンダー色の毛糸で、縄編み(縄のようにうねうねっとなってるセーターの模様で定番のアレ。)や、かわいい毛糸の玉なんかがついた、今思えば、なかなか凝ったデザインで手間暇かけて作られていたものだったと思うのだが、当時の私は、他の子が着てるさらっとした既製品のセーターのほうが数倍おしゃれに見えて、うらやましかった。

でも、母にそれを言ったらきっと悲しげな顔をすると思っていたので、だまっていつもしぶしぶ着ていった。

だから、世に言われる、「手編みのセーターが重い。(気持ち的に)」という感覚は、幼心になんとなく理解していた。笑

今はまったくやらなくなったが、パッチワークや編みものなんかが好きな母(当時流行っていたのだろう)だったので、幼い頃、いつもチクチク編み編みしている母の姿を覚えている。

その傍らでその姿を見て育ったのも、こういう作業がわりと好きな理由かもしれない。

雪国の寒い冬、ぼんぼんに暖房を焚いた温かい部屋でこたつに入って、お茶を飲みながら編み物をしてる母の横でお絵描きしたり、本を読んだりしていたあの頃、私は守られていて、とても安心していた。

なにも特別ではなかったが、あれは私にとってとても「幸せ」な時間だったんだなぁ、と思う。

「幸せ」とはなんなのだ、と聞かれても、今でもよくわからない。

ただ、もしかしたら、こんな感じかな~。というのは人それぞれにあって。

匂い、味、手触り、音、景色など。極めて「雰囲気もの」なのかも。

私にとって編み物が楽しい理由は、その頃のあたたかな感覚を条件反射的に思い出せるからなのかも知れない。

しばらくはまりそうだ。

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