西日

わたしは大事なものごとをよく忘れる。

その一方、ほんの何気ない情景や人の仕草、会話のやりとりなんかを、変なタイミングでふと思い出す事はしょっちゅうある。

普段はそんなこと、すっかり忘れているのだけれど、ふと、日常の中で、ずっと見つからなかったピースがはまるみたいに、その「なにか」の水面下の意識にふれたような気持ちになったとき、数珠つなぎのように、ぱぱぱっ、と繋がるものがある。

昨日、何気なく街を歩きながら、友が「いまくらいの時間のこの光の角度が好きなんだ。」

と言った横顔を、その奥にあるちょっとした憂いとか優しさとか純粋さとか、そのとき感じた彼女の原風景とかをぜんぶひっくるめて、きっとまたこれからもちょくちょく思い出す事になるんだろうな。。

直接的に差し出されたものより、そっと身に纏ってる雰囲気だとか、言葉のすみっこだとか、そういうもののほうが、核心に近いようなものごとは、この世の中にもっともっといっぱいある気がします。

そこを見つめて歩いて行く事は、時にしんどいと思うのだけれど、できるだけ、これからはより、人間的にそこには敏感で柔軟でありたいと願うのです。

 

 

 

 

 

 

お久しぶりです。

1年以上、放置してしまったブログ。

SNSのつぶやきばかりですっかりこちらをおろそかにしてました。

もしかしたら、またこの先ずっと放置の可能性もあるし、

もしかしたら、今日からまたぼちぼち更新していくかもしれないけれど。

誰にも何にも追われず、こっそりと、自分のペースでいられる場所。秘密基地のよう。

・・・・・

まだ見かけている途中のNetflix限定のニーナシモンのドキュメント映画の中でニーナが

「いままで生きてきて、歌っている時だけは何度か自由になれる瞬間があった。」

と言っていた。

わたしは、世の中のたいがいのことは不自由でできていると思っている。

不自由って、ネガティブな意味合いだけじゃないよね。

「不自由」は「安心」と、「自由」は「孤独」とふたつでひとつ、みたいなとこがある。

幸せってそれらがある一点のバランスで成り立つなんともわがままな瞬間の奇跡なのかも知れない。

幸せに対する価値観がそれぞれなんて、あたりまえだよね。。

最近は、ちょっとずつ自分の中で変化が起きています。

ふっと湧くみずみずしい感情を忘れないようにポケットに集めている途中。

 

春ですねぇ。

ここをたまたま覗いてくれた貴重なあなたにも麗らかな春が訪れますように。