あらまし

昨年末、バタバタとしてしまって書きそびれたままになっていましたが、
くるりのツアーに久しぶりに参加させていただきました。
岸田くんがどこかの公演で、知り合って結構長いよねという感じで私を紹介してくれた際「詳細はホームページで」と締めてくれたのを思い出し(もちろん本当にそういう意味ではないんだろうけど)、
本当にホームページに記しておこうかなーと思って。
それを覚えていてここを覗いている方は、、いないだろなー。

昨年12月に東名阪で行われたくるりのアルバム「感覚は道標」の発売記念ツアー。
メンバーは岸田くん、佐藤くん、そして今回はオリジナルメンバーのもっくん、以前くるりのツアーでも一緒に回ったお久しぶりのクリフにまっちゃん、ノッチ、私。
もっくんとは音博から初めてご一緒させていただいて、まさかリアルタイムで聴いていたオリジナルメンバーのくるりの演奏をこのタイミングで体感できるなんて!と、内心かなりの胸熱具合でありました。

ニューアルバムの肌触りをもっくんのドラムでしかと感じながら、アメ車みたいなクリフのドラムで鮮やかに展開していくその一部始終を、お客さんやメンバーのみんなと共有できたことが本当に嬉しくて、幸せな時間でした。

岸田くんと佐藤くんとは同い年で、私がバンドでデビューしたての頃、一度だけ謎の野外イベントで一緒になったことがありまして。

その日私は思うようなパフォーマンスができなくて、なんとなくどんよりムードで帰路につこうとバックヤードを歩いていた時、
向かい側からこれから出番の岸田くん、佐藤くん、アートリンゼイの3人が歩いてきて、すれ違い様に「おつかれさまでしたー。」と挨拶を交わしたんですが、その時の3人の楽しそうなことといったらもう、眩しくて眩しくて。
どんよりな自分との対比にますます落ち込んだことを覚えています。

時は流れ、私のバンドは数年後解散し、紆余曲折ご縁があって2015年のナウゼンツアーにコーラスとして参加させていただくことになった際、昔一度挨拶したくらいだし覚えてないだろなぁーと思っていたら、
当時私らの演奏中にくるりのマネージャーさんが間違って舞台上を横切ってしまったことや私が派手でヘンテコな衣装を着ていたことなどなど、、結構覚えていてくれて。
その間のくるりの様々な過程ももちろん作品と共に知ってはいましたが、まさかこういう形で再会できるとは思ってもいなかったので、とても不思議な気持ちでもありました。

時折一緒に演奏をさせていただく中で、言葉では言わなくても伝わってくる彼らの音楽への愛や情熱に、楽しんでいる姿に、いつも勇気をいただいています。

あんまりいうと嘘っぽくなっちゃうけど、本当に大好きな日本のバンドです。
これからの彼らの歩みも楽しみだなー。
今も変わらない眩しい欠片をありがとう!

こういうことはなんだか改まってインスタに書くのもアレだしね、
此処にひっそりと書き記しておくことにします。

立春

久しぶりにここに戻ってきました。
気がつけば2024年!

昨年末から年始へかけての色々がほうき星のようにすぎてゆき、
ついこの間だったことも、余韻だけがやんわりと彼方に漂っているような、不思議な感覚です。

いつになく今回の年越しは節目感がなかったなー。
それどころじゃなかった、と言った方が正解だったかもしれません。

本日は立春。
旧暦であれば只今から新年、というのもあってか、
今日からようやく今年が始まる感覚があります。

私は早々に宿題に取り組んでおります。
納得のいく形にできますように。

今年は地味に年女です。
甲辰。きのえのたつ。

数年前に見た夢、、
私は神社でお守りを売っていて、
「辰」という字が梵字のように手首に浮かんでくるという
摩訶不思議!!な夢がかなり印象に残っているので、なんとなく、心に留めて進んでいければなと思っています。

もっと昨年をゆったりと振り返ったりしたいと思っていたのですが、、
今日は取り急ぎ、新年のご挨拶まで。

1月から日本では様々な心痛めるニュースもあり、
今もなお不安の中にいる方々を思うと、諸手をあげておめでたい雰囲気では決してありませんが、
少しでも皆様が安心して、健やかに過ごせる時間が多い歳でありますよう。

今年も何卒よろしくお願いします。

彼の岸

彼岸も過ぎて、すっかり秋めいてきましたね。

やっと過ごしやすくなってきた、、と誰もが一息つくこの季節。

先日、インスタのDMに珍しい方からメッセージが届いていました。

送り主は、20年以上前に亡くなった父がお世話になっていた病院で看護師をされていた方。

ふと、娘さんに私がかつて所属していたバンドのCDを聞かせてあげようと思い出し、検索してたどり着いてくれた模様。

私の父は、当時かなり珍しい症例とされていた小腸平滑筋肉腫という癌で(おそらく現在でも症例の少ない癌かと思われます)、
何度も入退院や手術を繰り返し、長い闘病生活を送っていました。

その頃私はちょうどバンドがデビューを控えていて、ライブやリハの合間を縫って、母と交代で泊まり込みで看病をする毎日。

当時の看護師さんたちにいつも励ましの言葉をかけてもらいながら、父のお世話を(といっても実際のお世話は看護師さんたちがほとんどやってくださっていたのだけれど)していました。

今回頂いたそのメールには、

「お父様のためにお二人が本当に頑張っていたことを記憶しております。
今も看護師をしておりますが、忘れられないご家族です。これからもがんばってください。」

という温かいメッセージが記されていて、
20年以上も経ち、大きな病院で日々目まぐるしくたくさんの患者さんたちと向き合ってこられたであろう方が
今でも私たちを覚えていてくださったのは、正直驚きでもあり、嬉しくもありました。

母にも早速伝えると、とても喜んでいて、何より一番大変だったであろう天国の父の魂も、少し報われたような気がしています。

うちの父はごく一般のサラリーマンでしたが、こうして年に一度くらいのペースで今でも父に向けて、意外なところからメッセージが届くたび、
父が今でも誰かの心の中に生きていてくれていることに心が温かくなります。

最期まで生きることを諦めなかったあの背中に今も励まされているのは、私と母だけじゃないんだな、と。

彼の岸から見守っててくれてるのかしら?(とっくに生まれ変わってそうだけど)

お父さん、私は今日も生きてるよん!

ご自愛

6月、7月、8月と気がつけば夏もあっという間に後半戦。

北海道から関東に越してきてずいぶんと経ちますが、正直夏の暑さに慣れたことは一度もありません。

比例してどんどん気温も高くなる故、不眠気味、胃腸も弱り気味になっていつも毎夏は憂鬱気味。

今年も夏が始まる前から「酷暑」と謳われていた通りの凄まじい温度の夏になっていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

私はといえば、、今年も例年通りの調子の悪い夏を予想していたのですが、、

どっこい今の所近年稀に見る体調の良さを保っております!!これは奇跡!

と言いますのも、

今年は夏が始まったあたりから「とにかく無理をしない!」と心に決め、疲れたらなるべくすぐに疲れを取ることに撤し、

いままで蔑ろにしていた自分の心と身体をいつもより大事に、そして注意深く過ごしている賜物かと思われ。。

今年の上旬に健康診断を一通り受け、特に異常はなかったのですが、若干貧血気味とのことだったので鉄と亜鉛のサプリを摂るようにしたり、

昨年から習慣になっている朝の散歩も夏は気温によって行けない日もあるのですが、続けているし、

余裕があれば軽く朝ストレッチをしたり、瞑想をしたり、

あとは友達から教えていただいた自家製のフルーツ酢に今夏ハマり、風呂上がりなどに炭酸で割って飲んでいます。

その他にも明らかに野菜不足なので余裕があるときはスムージーを作って飲んだり、、

なんていうささやかなことなんですが、そんな一つ一つがおそらく少しずつ功を奏しているのではと。。

ポイントは全て「余裕がある」時にする。ということです。

今年から新たな挑戦も増えたりで、生活が不規則なのは変わらずなので、絶対にこれを続ける!という風には決めず、

気力がある時だけ。というスタンスでいる方が気楽に続けられる。

基本ズボラで面倒くさがりの私ですが、少し意識をしてみるだけで変わってくるから身体は正直です。

他人に気を配ることも大事ですが、そうするためにもまずは自分を労わるところから。

ご自愛の夏、引き続き徹します。

みなさんもご自愛を。

心地の良い夏を過ごそうね♪

近況

5月も半ばを過ぎましたが、皆様いかがお過ごしですか?
今年の5月はもう夏のような暑さもあって、先が若干思いやられますが、スタミナのあるものなどを食べて、暑さに負けない体力をつけていきたいものです。

4月は、新しい世界の人たちとお会いする機会がたくさんある賑やかな月でした。

去年の4月から担当させていただいている帯広のコミュニティFM、「FM JAGA」での番組が丸1年を迎えました。
聞いていただけた方もいらっしゃるでしょうか?
拙い私のおしゃべりですが、月に一度の大澤くんとディレクターの渡辺さんとの収録が部活のような、私にとってはちょっとしたオアシスとなりつつあります。

4月上旬に、初めて帯広のFMJAGAのスタジオを訪問させていただき、ゲストで生番組にも出演させていただきました。
十勝毎日新聞のビルの中に入っているとても立派なスタジオ。

その後十勝でラジオの取材やお墓参りのために数日滞在したのですが、その際に会った地元の方々は皆様JAGAをご存知で、地元に根ざし、とても愛されているラジオ局なのだなぁ、とひしひしと感じました。

生まれた土地で、今というタイミングでレギュラー番組を持たせていただくというのも、なんだか不思議な感覚で、嬉しい機会に恵まれ、心より感謝しております。

私はとりわけお喋りが上手ではないので、お聞き苦しいところも多々あるとは思うのですが、大澤くんと渡辺Dと共に、これからも素直なラジオ(笑)を発信して行きたいと思っていますので、今後ともゆるりとお付き合い頂けたら嬉しいです。
音楽だけに括らず、「北海道」という共通項を持ち、独自の活動をしていらっしゃる様々なゲストの方々にで出ていたけるような番組になっていくと面白いなぁと思っていますので、よろしくお願いします。
ゲストに出たい!という逆オファーもお待ちしてますよ。

コーラスとしては、平岡恵子ちゃん率いる「Warm up」や、Salyu×Salyuでのプラネタリウムライブ、など、内容の濃いボリューミーなライブに出演させていただき、楽し嬉しかったです!

5月には誕生日を迎えまして、いつもの店で気のおけない友人たちと乾杯を。
今年は一人でゆっくり温泉とかもいいかなぁ、なんて思ってもいたのですが、
友人たちの気遣いのおかげで楽しい1日に。
見事に酔っ払いました。
朝起きると、いただいたお花が入っていた袋の中に全く記憶にないどん兵衛とシュークリームが・・・
(どうやら帰りがけにみんなでコンビニ行った際に買ってもらったようです。。)
自分の食い意地にあっぱれ。

新しい歳の抱負などは特にありませんが、
できるだけ飾らず、急がず、強がらず。
素直に生きてゆきたいです。

ひょんなことから、すでに新しいチャレンジが少し始まっていて、それが何に繋がってゆくのか、続いてゆくのか、
まだはっきり自分にもわからないのですが、1年後には答え合わせできているといいな。

大澤くんとのリリースの3曲目の作業も大詰め。
今年の初めに提案したリリースは、大澤くんをはじめ、参加していただいたミュージシャンや各所の皆様の多大なお力のおかげでなんとかコンプリートできそうです。

以前、コロナ禍に「I’m here」という曲を配信した際、SNSでいただいたコメントの中に、
「歌い続けて、新しい曲を聞かせてくれた事が本当に嬉しいです。」というお言葉をいただいたことがありまして。
のらりくらりな私にも、このように歌を待っていてくださる方がどこかにいるんだな、、と、とても嬉しく、ずっと心に残っています。
勇気の湧くお言葉を、ありがとう。

一連のコロナの自粛ムードにも出口が見えてきた頃、
今までやり残していたような気がすることをとりあえず形にしていきたい。
と、取り掛かり始めた今回のリリースでしたが、手をつけてみると、あれもあったこれもあった、で、他にも候補曲が出てきたり、、
どこまでできるかはわからないけれど、これからもマイペースに進めていければと思います。
どこかで聞いてくださる誰かのために。そして何より自分のために。

さて、5月はどんな1ヶ月になるかなー
ってもう半分過ぎてるけど・・

皆さんにとって健やかで豊かな時間となりますよう。

追伸:
抱負
ないって言ったけど、
新たな歳は旅をして、色んな人や景色に会いたいです。

忘れっぽい天使

パウル・クレーという画家が好きなのですが、中でも好きなのが「忘れっぽい天使」という作品。
忘れがちな、でもなく、忘れやすい、でもなく、
「忘れっぽい」と和訳した方のセンスが素晴らしいなと思います。

人間は忘れてゆく生き物。
この絵でいう天使とは人間のこと?
もしくは、願いを忘れたフリをして、
人間を試すようないたずらをする、時に残酷な天使の気まぐれを表したタイトルなのでしょうか。

絵の中の天使は、なんとなく微笑んでるようにも、
敬虔な祈りを捧げているようにも見え、
いずれにしても、そこには大きな「赦し」が寄り添っている気がするのです。

この絵は晩年期のクレーが不自由になった手で書いたもの。

クレーの絵にはカラフルで緻密な絵もたくさんあるけれど、
その中でも、削ぎ落とされた果てにある祈りのような天使シリーズが、
私はとても好きです。

話は変わりますが、、
そんな見えない天使たちの仕業かどうかは定かではないけれど、
生きていると、思いもよらないところから、
さりげない優しさやメッセージに気づくことがありますよね。

昨年札幌帰省中に偶然東京から来ていた先輩との会話の中で、
先輩がかけてくれた何気ない一言が嬉しかったことを
何故か今朝、じんわりと思い出していました。
側から見たら多分なんてことない会話。
先輩も言葉に特に深い意味はなかったのかもしれないけれど、
なぜだかその時の私にはグッとくるものがありまして。

そういう瞬間が人生には何度かあります。

人間って一つの思考に囚われている時は、目に見えないギフトを素通りしがち。

そんな勿体ないことがないように、
かけがえのない瞬間をキャッチできる心の隙間をなるべく空けておきたいなぁ、、と思います。
なかなか難しいけどねー。

こんなふうに↓

まえがき

2022年の後書きと2023年の前書き。

昨年は、正直申しますと、思わぬところから自分ととことん向き合うことになった、なかなかヘビーな一年でした。
その分、身近な人たちの優しさがどれだけ有難いことか、改めて感謝する時間でもありました。

おかげさまで、色んな意味でようやくニュートラルな「0」に心が戻りつつあります。

お仕事では、コロナ禍の影響が未だ続く中でも作詞で参加させていただいた曲のリリースや、生まれ故郷の十勝地域でのラジオ放送も始まり、コーラスでも素敵なアーティストの皆様とご一緒させていただく機会もあったりで、とても嬉しかったです。

2023年は、私の中で、数年かけて静かに大きな変化へと繋がっていく年になる気がしています。

まずは基本の「基」を整えるところから。

今年も色々あるとは思うけど、歩んでいこう。

何より、新しい歳、ここを覗いてくださったみなさんに、健やかで、優しくて、嬉しい時間がたくさん訪れますように。
良い年にしましょ。

2023年1月1日

今年の初雪は石巻で見ることができました。

先日、salyu×salyuで石巻のシアターキネマティカにて歌い納め。

ウッドベースとアコースティックギターで小嶋まきじさんが加わってくださり、
まきじさん独自のアプローチで今までの曲も、クリスマス用に用意した曲もとても楽しい仕上がりになりました。

思えば今年はこのsalyu×salyuに参加させていただいたおかげで、たくさんの実りある時間を過ごすことが出来ました。

今回の第二期(?)salyu×salyuの演奏形態は極めてシンプルで、基本は生楽器1+3声のみで構成されているものが多かったので、その時のコンディションや楽器との調和が、ちょっとした変化で毎回変わるところがとてもスリリングでもあり、楽しみでもあり。

歌は心。とは昔から言われていることではありますが、本当にその通り。
声は嘘がつけません。
ゆえに、二人と声を合わせる作業は心を合わせる作業でもありました。

今思えば、練習前のたわいない会話の隙間、扉を開けて入ってきた瞬間に纏ってる空気、何気ないコミュニケーションから無意識のうちに互いのコンディションを汲み取ったり、心を合わせるチューニングをしていたのだろうな、と思います。

人間という楽器はとても複雑で素直で、面白いですね。

時に年下の二人に私の方が甘えてしまうなんてこともしばしばあったけれど、
優しく、可愛い二人の素敵なシンガーと共に過ごせたこの一年、私にとっては貴重な思い出です。

4年前の石巻で一度だけ、小林武史さんアレンジで初披露したこのメンバーでの3声のTo Uを、時を経て再び石巻で演奏できたことが、この一年の象徴的な締めになったように感じています。

お世話になった石巻シアターキネマティカのスタッフのみなさん、観に来ていただいた皆様、プロジェクトに誘っていただいたSalyuちゃん、ヒロコちゃん、まきじさん、ありがとうございました。

✳︎上の写真はビルボードツアー中に帯同してくださっていたカメラマンのHAYATO WATANABEさんがみんなにくれたチェキ。こうして手元に残る思い出は嬉しい。

✳︎ライブ前に時間があったので石巻の日和山を訪ねてみました。
この11年で着々と再生した街と一隅を照らす光の梯子に、ただただ「生きる。」という声が心に湧いた瞬間でした。

 

 

 

 

 

 

 

コロちゃん

ついにうちにもやってきた。
私にはもう縁のないやつだと勝手に思って気が緩んでいたところを見透かされたように。

初日は夕方、電車に乗っている時からどんどん体がだるくなって、立っているのがやっとの状態。
本当はその日、作詞をさせていただいたアーティストのライブを観に行くはずだったけれど刻一刻と悪化する体調にこれは明らかにただの疲れではないな、、と断念して帰宅。
今思えば無理して行かなくて本当によかった。

夜は悪寒で眠れず、熱はどんどん上がって、翌日には40度に。
体中の関節が痛く、頭痛もあった。
うなされながらもAmazonでコロナの検体キットやイオンウォーター、おかゆなど手配し、届くのを待つ。

近所のお友達から、後日飲み物と食べ物やホットミールの差し入れ、北海道の友からはお手紙と共にどっさりと非常食が届く。
独り身で体調を崩すと途端に心細くなりがちだけど、友たちの優しさのおかげで、体も心も本当に救われました。
ありがたさが身に沁みたー。。

そうこうしてる間にキットが届いたので採取して送り返す。
1、2日めは流石に食欲も無くなっていたけれど、3日目あたりからおかゆやいただいたホットミールなど。
熱は38〜9度を行ったり来たり。
夜に検査結果が届いて陽性確定。
現在の休養期間や濃厚接触者の基準など何にもわかっていなかったので、慌てて調べ、必要各所に連絡。
やっぱりかー。と、その後はもう己の免疫を信じてひたすら水分と栄養とって寝るしかなかった。
コロナ用の解熱剤はないので試しにバファリンを飲んでみたら効いて微熱になる。(市販の解熱剤では効かない人もいるみたい)
最近の株は喉が信じられないくらい痛くなる、と聞いていたので、どうか喉だけには来てくれるなー!と念じながら目を閉じる。
祈りが通じたのか幸い喉にはほとんど来ず、その後症状は咳と鼻づまりへ。
この時くらいから臭覚がなくなる。
4日目以後は徐々に平熱に戻って、日に日に元気を取り戻していったけれど、臭覚は未だ戻らず咳も残っている。
10日間の休養の後(現在の基準では7日間となってるみたいだけど菌がうつる可能性は10日間はあると言われているので用心を取りました)抗原検査の結果、陰性が出たので、明日から社会復帰予定です。
歩くとまだふら〜っとするから徐々に体力も取り戻さないと。

いやー、私は軽症だったけどそれでもきつかった。
もう二度と罹りたくないわー。
まぁ、しかし、これで最新の免疫は獲得したってことで。

数年後こんなに世界中の人たちが苦しんでたことが嘘みたいに特効薬が当たり前にあったらいいよね。

生存欲求からなのか、ストレスからなのか、体調が復活してきたこの数日、濃い味や体に悪そうなカロリー過多なものを欲してしまいます。
今日は昼にウーバーでマック食べて夜はラーメン♫
男子学生みたいな食生活!
明日から整えます。。

初めて罹ったので備忘録として書いておきましたが、
みなさんもどうかお気をつけて。
無事にみんなで健やかな新年を迎えられますように。

5年

前回の投稿から、なんと、、5年も経ってしまっている!

お久しぶりです。

みなさま、お元気でしたか?

互いになんとか生きてきたから、今ここで再び会えていることを嬉しく思います。

NEWS更新以外長い間ほぼ放置状態だったこのHPも、お友達夫妻のおかげでマイナーチェンジしてようやく復活。

その間はinstagramのみでの情報更新でしたが、お付き合いくださってきた希少な方々ももしかしたら、いるのかな?
ありがとうございます。

またこちらのHPでもゆっくりなペースではありますが、活動の情報を共有させていただきたいと思います。

5年って、結構色々変わるよね。

みなさんはどんな5年を過ごしましたか?

そのうちの約2年は未曾有のコロナという流行病に世界中が翻弄されて、時の流れ方がグニャっと歪んだ感覚。時代が変化する手触りってこんなんなのかな、、と今も肌で感じている途中です。

戦争は常にどこかで起こっているし、日本という安全な国に生まれたおかげでいい具合に見ざる聞かざるでのほほんと育ってきたけれど、世界はこんなにも激動しているのだという現実が少しずつ生活を通して突きつけられてきて(まだまだ暴かれていないことがほとんどでしょうけど)、さぁあなたはどう生きる?と、今、各々に問われている気がしています。

私も、この5年、様々なことがありました。
忙しない自分の心にめんどくさいなぁ、、と日々呆れつつも向き合いながら、これからを描いているところです。

今までのたくさんの時間の中でもらった出会い、宝物、そのすべてに感謝して、抱えてきたそれらを一旦置いて、眺めてみる。

ここからまた何が始まっていくんだろう。
立ち止まりたい時は立ち止まって。
進みたい時は進めばいい。
心のアンテナが喜ぶ方へ、まずは気軽に赴いてゆきたいなー。

今の私はそんな気分です。

改めましてみなさま、よろしくお願いいたします♪